そんなに暇なら本でも読みませんか?

書評、感想、おすすめ。少々偏りがありますが、わりと何でも読みます。

星の王子さま サン=テグジュペリ

”心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ”

”かんじんなことは、目に見えないんだよ”

 

星の王子さま読みました。

とても丁寧に、読み手の呼吸に合わせるように、優しく綴られた言葉や物語が素敵です。

子供のころに楽しかったことも、嬉しかったことも。大人になるにつれて、何も感じなくなってしまったり、途端に興味が薄れてしまったりするものです。

何が好きだったとか、何が嫌いだったとか、今では何も思い出せなくても、子供の頃はきっとそれが素直に正直に言えたし、感じることができたのでしょう。

大人になって忘れてしまった大事なものや、思いを少しだけ思い出させてくれます。

 

特にキツネの話がよかった。途中で出てくる哲学者のようなキツネがアツいです。

風の谷のナウシカ 宮崎駿

 

神の産物。

よく映画がテレビで再放送されたりしてますけど、興味を持った方は一度漫画の方も読んでみることをおすすめします。

そういう私は小学生か中学生くらいの時に初めて読んで、最近また読み返したっていうわけなんですけど、やっぱ少し大人になってから読むべきですね。これは。

ナウシカの純粋さとか、たくましさとか、包容力のある優しさっていうのは本当に魅力的で人を惹きつけます。人だけじゃあない、虫にも森にも、神様っぽい何かにまで好かれて。底知れないカリスマ性があります。

主人公の魅力も然ることながら、何より注目したいのはこの世界観。

荒廃した星で生きる人間たちのそれぞれの正義とか。思想の違いから生まれる争いだとか、それによって失った自然環境だとか命だとか。掘れば掘るほど物語の核となる部分には、どうしようもなく大きな因果が潜んでいることがわかります。それを少しずつ知っていくナウシカはそれをどう受け止めて、どんな行動に変えていくのか。

 

ちなみに映画の制作には、エヴァンゲリオンの作者である庵野秀明さんが携わっています(若い時)巨神兵のシーンとか担当して。

類は友を呼ぶということです。天才は天才を呼ぶわけですね。

ふがいない僕は空を見た 窪美澄

人がこの世に生を受けるということ。

どんな人間にも必ず両親がいて、それはどちらかがオスで、どちらかがメスだろう。

何をどう誤魔化しても、目を背けても、性と生は切っても切り離すことのできない、コインの裏と表みたいな関係だといえる。少なくとも人間は、そう。

冒頭からぶっ飛んだ内容に衝撃を受けながらも、途中で投げ出したりせずに最後まで読んで良かったと本当に思った。終章の”花粉・受粉”でなんだか泣けた。

誰かと結婚して、子供が生まれて、その子供を育てて、自分も老いて、そして死んでいくということ。それがいかに大変で偉大なことなのか。

ただ、生きていくことっていうのはプランが定まったツアーじゃない。いうなれば自由な旅である。結婚できない人もいれば、子供が産めない人もいるし、子供を育てることを放棄する人も勿論いるだろう。

大人向けの内容ではあるけど、特に高校生とか大学生はこういうの読んだほうがいいんじゃないかなぁ。まぁ、全ての人に読まれるべき一冊ですね。

 

何もかも憂鬱な夜に 中村文則

自分以外の人間が考えたことを味わって、自分でも考えろ

考えることで、人間はどのようにでもなることができる

世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分でつくりだすことができる

 

~あらすじ~

施設で育った主人公の「僕」

親がいない”孤児”という境遇で歳をかさね、少しずつ大人になり、施設長だった恩師から人間として大事なものとは何かということを教わって育つ。

刑務官という役職についてから、様々な囚人達に出会い、時に憤り、同情し、裏切られ、そして成長していく。

刑務官になってから九年が経ったある日、夫婦殺害の罪で死刑が確定した死刑囚”山井”の担当を任されることになる。山井は親がいない。幼少時代を自分と同じ孤児という境遇で過ごした弱冠二十歳の若い青年だった。

どこか自分と似たものを感じる山井と接する中で僕は、昔自殺した親友の記憶や彼との思い出、そして施設にいた頃の自分を思い出しては、生と死とは何なのかを思い知らされ、記憶とリアルを彷徨って葛藤する。

 

大人向けですね。暗いストーリーの中でも作者が伝えてくれるメッセージを拾い集めながら読むのです。そうです。

不安定な思春期に乱れる男子生徒の心の叫び、慟哭にも似た心の鬱憤が爆発するかのように書き綴られた自殺した親友のノート。

強姦魔の鬱屈した思想、それでいながらも嫌になるほど人間らしい心の内や不安。

生と死は表裏一体だということ、死にたいけど生きていたり、生きていたいけど死んでしまったり。

生々しくて暗い。だけど、こういうことは実は現実にあることなのです。

死刑制度って、先進国で実施しているのは日本とアメリカぐらいらしいです。よく「死刑制度反対」なんて主張している団体もありますけど、こういう是非は例えば百年生きたって結論は出ないような論題じゃないですかね。結局、人が「人を」裁くわけですから。

私個人としては死刑制度は廃止しなくても構わないと思っていますけど、よくよく考えてみれば人間が”人間を正義として殺す”ってちょっと神様気取りな気がします。

そりゃあ、大切な家族を殺された遺族や友人、恋人からしてみれば苦虫を噛み潰すどころの騒ぎじゃないぐらい悔しい思いをするわけです。いっそ自分の手で犯人を殺してやりたいと思ってもおかしくありません。

でもその犯行が死罪に値するか否かを決めるのは案外”大衆”である国民なわけです。

人社会に於いてマジョリティは謂わば正義そのもの、道徳そのものなんですよ。少数派であるマイノリティは、こういう言い方をしてしまうのは相応しくないかもしれませんが”正しくない”と言われてもおかしくないわけです。

百人が「こんなやつ死んでしまえ」と言ったことに対して、たったの一人が「殺してしまっては可哀想だ」と言ったとしても、それは「一般的じゃない」と位置づけされてしまうものなんですね。人社会は多数決です。

こうなってくると、マスメディアが発信する情報というものは多大な影響力を国全体に及ぼしているということがわかります。犯行の一部始終や、動機、その後の態度など、これを直接見聞きできない国民が新聞やニュース、テレビから得た情報だけでどう感じ取って、どう思うのか。恐ろしいですね。

最終的に判決を下すのは裁判長であっても、その判決の流れをつくるのは世間一般の私たちだというわけです。

いるのいないの 京極夏彦

怪談絵本。

田舎のおばあちゃんの家で暮らすことになった少年の不安と違和感を巧みに描き出します。

絵本って世間一般では「子供向け」という認識が強いですけど、大人が読んでも楽しめるものはたくさんありますよね。同じ作品を読んでも幼い子供が感じるものと、歳くった大人達が感じるものとではまったく別物です。

絵本といえば”星の王子様”とか、”はらぺこあおむし”とか”てぶくろをかいに”とかありましたね。

私の中で絵本といえば、”よるのかいぶつ”が印象深いです。懐かしい。

 

というか「田舎のおばあちゃんの家で暮らすことになった」って、それがもう怖いですよ。両親も出てこないし。

SPEEDBOY! 舞城王太郎

ついていけなかった。文章も物語もぶっちぎりです。疾走しているというか、奔走しているというか。はっきりいえば意味がわからない。

どう解釈すればええねん。

獣の樹でも主人公だった”成雄”が鬣生やしたまんま、足速いまんま出てきます。まぁこういうことはこの作者にありがちなことなので触れない。そう、世界軸が違うだけや。

それよりも、この作品のどの部分にメッセージがあるのか反芻してみるわけです。いや単純に読み返すだけですけど。たぶんこのへん良い言葉。

~良いも悪いも同時にある。本当と嘘も混在している。そういうふうに世界はできている。

そしてそんな世界に接している自分も、世界に騙され、説得され、感化され、影響を受け、まるで世界の双子のように複雑化する。だから自分の中にいるのは優しい自分ばっかりじゃない。自分を騙そうとする嫌な自分もいる。悪い自分もいる。~

このあたりがいわゆる「まとめ」だと思います。私見ですよ、私見。

キョウカンカク 天祢涼

女性を殺して焼却するという猟奇殺人事件が続く地方都市。

単独犯か集団による犯行か…犯人はマスコミから「フレイム」と名付けられ、世間を騒がせていた。

フレイムによる犯行で、幼なじみを殺された高校生”甘祢山紫郎”。跡を追って自殺を図ったが、寸前のところで一人の女性に阻止される。

彼女”音宮美夜”に自殺願望のある”声”を「見られた」らしい。音を目で「見る」という、驚くべき共感覚の持ち主の探偵”音宮美夜”。偶然にも彼女はフレイムの事件の捜査をしていた。

死ぬことよりも何十倍も意味のあること。生きる糧を見つけた山紫郎は、音宮美夜の助手となることを志願し、「フレイム」の捜査に乗り出す。

 

なるほど、面白かったです。伏線の張り方が自然で「びっくりするほど虚を突かれる!」なんてこともなく、大体の予想をつかせながら滑らかに読めます。

若干ですが、登場人物がウザいです。鼻につくというか、いけ好かないというか。あと作者に笑いのセンスが感じられません。コミカルなやりとりが面白くなくて残念。

森博嗣ぐらいクールに徹底していたり、京極夏彦のように何気ない会話がウィットにとんでいたり、西尾維新のように登場人物たちのやりとりが笑えたりすれば、評価高かったんですけどね。真剣さの中にもジョークを混ぜれるというのは才能なんですね。

 

しかしメフィスト賞ばかり読んでいても何か違うなぁ。受賞者たちが過去作を読破しているのは当たり前なんでしょうけれど、それにしたって同じような題材とか、ストーリー展開、似たようなキャラ設定が目立つ気がします。まぁ同じ賞には似た感じの作品が集まるのは、それこそ当たり前ですけど。

似ているからには、二番煎じに甘んじるというよりかは、独特の色を出していったほうが面白いと思うんですけど。

そう考えるとやっぱり「プールの底に眠る」はよかったなぁ。