そんなに暇なら本でも読みませんか?

書評、感想、おすすめ。少々偏りがありますが、わりと何でも読みます。

共喰い 田中慎弥

 ~川辺の田舎町。十七歳の”遠馬”は、一つ歳上の幼馴染”千種”と付き合っていた。

 娯楽もない、新鮮さも感じないこの田舎町で、遠馬は千種とのセックスに明け暮れ、その遠馬の父親もまた、共に暮らしている遠馬の実の母親ではない女と、毎晩のように性に溺れていた。

 父にはセックスのときに女を殴る癖がある。これは、生まれたときから別居状態である遠馬の実の母がよく話して聞かせてくれた。

 自分は父とは違う。そんな衝動はないと、そう自らに言い聞かせる遠馬だったが、いつからかその衝動は抑えきれない欲求へと変わっていく。

 

 純文学です。もう一篇収録されてますけど、ただの釣り小説にしか思えません。やはり表題作「共喰い」こそ読み応えがあります!

 短い話ではあるのに、それでも生々しく生臭い小説となっております。

 学生こそこういうものを読むべき!

 

流星ワゴン 重松清

 大人向け。厚みある小説。

~あらすじ~

 「ただいま」を言うときには、いつも抜け殻のようになっていた。

 家族の笑顔と、夕食と、風呂と、ベッド。ただそれだけを求めに家に帰る毎日・・・。しかし”一雄”は、気が付けば一人きりだった。家族は完全に崩壊してしまっていた。

 自分の人生には様々な分岐点があった。果たしてその時々の自分自身の選択は確かだったのだろうか?と、やり直せない過去を悔やむ。

 家族を失い、職を失い、生きることにすら疲労感を感じていた。

 深夜のバス乗り場のベンチに座り込み、帰るあてもなくウイスキーに口をつける。このまま一気にあおって、ここで死のうかとも考えていた矢先、突然見知らぬワインカラーのオデッセイが現れる。そのワゴンは一雄の目の前で止まり、助手席の窓が開く。・・・そこには見知らぬ父子が乗っていた。

 冥界行きのバスにでも拾われたつもりで、一雄は誘われるがままにワゴンに乗り込んだ。目的地は他でもない、一雄自身の人生の岐路をめぐる、時空を超えた旅であった。

 

 かなり男性向け小説かもしれません。特に一雄は男性心理代表みたいな男です。これぞ温厚なダメ男だ!ここまで顕著にそれが表れてくると、奥さんや息子に同情したくなるかもしれません。私は個人的には一雄を応援したいですが。

 チュウさんがなかなかいい味出してます。一雄のように温和で器用貧乏なお父さんよりも、チュウさんぐらいの体当たり教育で子育てしたほうが豪快な人間が育ちそうです。

 まぁそれで育った結果が一雄であることは言うまでもないのですが。

 

 

九十九十九 舞城王太郎

 コナン君「ペロっ・・・これは、ケルベロス・・・!」

 

 とりあえず冒頭から飛ばします。アクセル全開です。これは私に限った話ではないと思いますが、あまりにも文章が面白すぎてかなりニヤニヤします。JR注意。

 清涼院流水の「コズミック」も持ってるには持っているんですけど、この作品自体を読んだのはもう三年も四年も昔のことですから・・・これは少々もったいないことをしました。でも、コズミックから入らなくても大丈夫と言う方も多いので、あえて気にしない。

 内容はなんというか、うろ覚えですが

 世界線の違う、パラレルワールドで巻き起こる事件を、シンクロニシティ的発想と見立てによって上手い具合にまとめていく。そんな感じの物語です。

 どこの世界線でも、同じ主人公が出てきて、それぞれが別々の生活を送っているわけなんですが。とにかく読む人によってどんな解釈でもできそうなので難しいです。

 正直、こんな描写必要か?と思わせる場面もかなり多いので、人選びすぎな小説だということはハッキリと言えますね。

 獣の樹とか、好き好き大好き超愛してるとかのほうが彼の作品の中では、話は分かりやすい方かと思います。

 

月と蟹 道尾秀介

 

 生臭い小説。

 良い意味で。

 

~あらすじ~

 物語の主人公”慎一”は、父”政直”の会社が倒産したことを機に、家族とともに東京にあった社宅を出され、政直の父である祖父”昭三”が住む父方の実家。鎌倉市にほど近い海辺の町で暮らすことになった。

 しかし、それから一年ほど経った頃、政直は病に倒れ、他界してしまう。

 残された慎一とその母”純江”は、そのまま昭三の家で暮らすことになる。

 片足を海難事故で失い、年金暮らしである昭三と、パートで家計を支える純江。切り詰めたような生活を送る家庭の中で、慎一は子供ながらに、自分の誕生日のプレゼントをねだることすら遠慮するほどになる。さらに、立て続けに起きた環境の変化や、精神的な不安定さも重なって、いまどきの同級生たちの遊びからも遠ざかっていく。

 慎一自身が転校生だということもあり、クラスで孤立感を増す一方、唯一の転校生仲間である”春也”とは、お互いの同属意識からか、次第に打ち解ける仲になる。

 二人の間では、ヤドカリを神様に見立てて焼き殺し、願い事を叶えるという。

 儀式めいた遊びが流行っていた。

 

 子供は無邪気です。ただ、それだけに可能性に満ち溢れすぎて恐ろしい存在でもあります。

 アナキンがダークサイドに堕ちてしまったように、透明や白に近い存在であるということは、一種のリスクを背負っているわけです。

 家庭環境については、家庭を持ったこともない私がとやかく言う筋合いはありませんけど、どういう理由であれ、経緯があれ、子供に最も強い影響力を与えるのは「親」です。「大人」です。これは間違いありません。

 子供同士の詮無いやり取りなど些細なものです。しかし、例えばそこに何か問題が生じたとして、それをどのように解決するのか。何も知らなければ、何も教わっていなければ、子供にはどうすることもできません。

 だから、親をはじめとする大人から予め教わっておくのです。そして、その教え方や受け取り方にそれぞれの個性が反映されていき、物心ついたようなときには自我が芽生えているというわけです。

 

 いやぁ、本当に生臭い。ヤドカリ臭がぷんぷんします。それだけじゃない、作者はこういう少年少女たちを描くのが恐ろしく巧いです。子供たちの一つ一つの些細な動作がリアリティありすぎです。

 性とかがまだ完全に芽生えていない頃の子供って、大多数が圧倒的にそういうものに対して嫌悪感を示しますよね。よくわからないけど「気持ち悪い」的な。

 小学生たちが河原のエロ本とかをわざわざ突っつきにいったりするあれもです。興味があるけど、理解できない。マジマジとみられないけど、少しは見たい。私も子供のころはありましたから、なんとなくこの気持ちはわかります。

 自分の母親と同級生の父親が如何わしいことをしている場面に出くわした時の慎一の心境とか、胃にくる。

 

限りなく透明に近いブルー 村上龍

 腐ったパイナップル

 

 ドラッグとセックスと暴力。

 このワードに尽きます。きっと、こういう生活を送る人たちはこの世の中にはたくさんいるはずです。表向きに出てこないだけ、私たちがしらないだけ。関わりがないだけ。

 ただそれだけです。  

 逆に、この物語の主人公”リュウ”なんかは、私たちの生活こそ知りません。普通という言葉を使っていいならば、彼にとってこれは「普通」で、彼の日常であるわけですし、私たち一人一人にも、「普通」があって日常があります。

 仲間たちが目の前でドラッグ打ってようが、仲間うちの女の子が外人の男共に暴力振るわれていようが、自分自身が乱交パーティでイマラチオされようが、それこそ彼の日常なわけです。

 どんな人でも、ふとした瞬間に虚しさを感じることはあると思いますけど、リュウのそれはある意味。私たちが感じるような空虚さとは全く違う次元のものに思えます。

 

 なんて生々しい小説だったんだ。

 私は新装版を読んだんですけど、巻末の綿矢りささんの解説がとても素晴らしいです。読んで、どうぞ。

 

クビシメロマンチスト 西尾維新

 クビキリサイクルに続く、いーちゃん主役の続編。

 すっかり書評を忘れていた一冊。

 

 ずばり。いーちゃんが自分の指の骨をポキポキ折るところが見どころ。

 あと、x/yが分からなかった方はググってください。

民間防衛 スイス政府編

KAZUYA Channel推薦

 

 なるほど・・・塩が何グラムで・・・油が・・・

 というような部分は多少割愛しても構わないと思いますが、随所随所でのまとめ部分は必読です。これはたしかに、生ぬるい現代を生きる日本人の意識に刷り込みたいですね。

 "永世中立国"

 スイスは、人口だけでみると700万人超ですから、北海道の人口に+αしたくらいの人口に過ぎません。日本の人口は一億数千万、こうみると、とても小さな国に思えてきますが。

 日本とスイス間での国交樹立から150年という歳月が経ちました。両国とも似通っている点も多く、国同士の友好関係もとても良好なものです。しかし、圧倒的に私たちが劣っている点、模範としてスイスを見習っていかなければならない点があります。それは、国民一人一人の政治に対する意識の差、政治に取り組む姿勢です。

 かたや700万人超と一億数千万。確かに数の違いは、団結を唱えるうえで大きな壁となりえます。さらに、今の日本で「日の丸のもと一丸となって…」なんて言葉は夢想や妄想に過ぎません。もはやそんな言葉唱えるだけで地雷です。

 何故こんな事態になってしまったのか、釈然としませんけど、しかし、例えば国民一人一人が僅かでも、ほんの1%でも政治に対する姿勢を改めてみてはどうでしょう?

 選ばれた人のみがどれだけ頑張っても、外野が全くの無関心では、どうにもなりません。行政を敷く側も動きようがありませんし、動けません。

 福沢諭吉先生の「学問のすゝめ」にはこうあります。

 ~愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり~

 まさにその通りです。全国民とまでは無理かもしれませんが、それでも多くの国民が政治に関心を示して、積極的に向き合っていく。これだけで、全ての人たちに責任が生まれ、動かなかったはずの何かが、少しずつ変化を生じていくものなのです。

 

 一万円を背負う背中は大きい。